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木偶坊の美探求流浪記 そして酒場と食と人を求めての旅


by sanmu39

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誕生の命・命二つ



誕生の命。
立教新座中学入学式祝辞
少しの時間目を閉じください。
まぶたの奥で、想像してみてください。
君たちの生まれた日のことを。
生まれた日のことですから、君たちに記憶があるはずがありません。
でも君たちは、その記憶がないにもかかわらず、その日を思い出すことができるはずです。
私は、今66歳ですが、66年前のことを想像することができます。
母の顔を、嬉しそうにのぞきこむ父の顔が浮かびます。名前をどうしようかと悩む父の顔が浮かびます。ベットでほっとした表情の母の顔が浮かびます。
「ご苦労さん」と父が母に言っているような気もします。
君は、大きな声で泣いています。
看護婦さんが、「男のお子さんですよ」と、やさしく言っています。
君たちは、きっと自分の生まれた時の写真を持っているはずです。その時の顔を思い出してください。
白い産着を着た君の瞳は、今と同じように少しまぶたを閉じているかもしれません。
君たちそれぞれに少し違いがあるかもしれませんが、その時のことに大きな違いはありません。
そこには君たちの輝ける命の誕生がありました。両親をはじめ、周囲の祝福がありました。このことは、ここにいるすべての人に共通していることです。
私はまず君たちがこの世に生を受け、今ここに元気で居ることに、謙虚に、互いにおめでとうと言いたいと思います。
命への祝福と感謝は、あらゆる人に共通のものです。
互いが、互いに命の尊さを心に刻むことが、入学式という始まりにまず確認することです。
入学式というのは、始まりの時です。原点に、立ち戻ることではないかと思います。
それから、12年間、君たちは、そのまぶたを大きく見開き、色々のものを見てきました。悲しいことも、嬉しいこともあったでしょう。自信を持ち、自分を誇りに思うこともあったでしょう。心躍り、有頂天になったこともあったでしょう。学校からの帰り道、泣きながら帰ったこともあったでしょう。私も、今、君たちと一緒に、泣きじゃくった日のことを思い出します。友達を傷つけたこと、いじめられたこと。思い出したくないことも思い出します。
今までの思い出を大切にすることも大事です。過ぎ去ったことをいとおしく思うことも、新たな出発に大切なことです。
しかし、私はそれ以上に、新たな出発には、過ちを、新たな心で変えていくことが、大事なことであると考えます。
動物は、過去のことを本能的に忘れることはありません。人間も同様です。
しかし、動物は、過去を意識して忘れることは出来ません。人間は、自分の力で、過去の失敗や過ちを正すことができます。
動物は、消しゴムを使うことが出来ません。人間は消しゴムを使い新たなページを作ることができます。
自分が成長とともに持つ責任とは、新たな自分を作り上げて行くことです。
人を傷つけたことを忘れてはなりません。しかし、その時の自分から、新たに生まれ変わらなければなりません。そんな、自分とは、きっぱりと離れましょう。
生まれた日のことを、互いにその日が大切な日であったことを、もう一度思い出し、命の大切さを深く重く感じあいましょう。
私は、絶対にいじめを許しません。
人間は人間として、あらゆる暴力を許してはなりません。
今、この時、命の大切さを強く思います。
友達を思いやり、私たちが互いに助け合う心を持つことが、春浅い被災地の君らと同じ時を迎える諸君の悲しみに寄り添う責任でもあります。
夢と希望にあふれた入学式を、迎えようとして迎えることのできなかった、友人たちの思いをしっかりと、胸に刻んでこの時を迎えたいと思います。
被災された土地での入学式も報道されています。皆さんは、どのような気持ちでその画像を見ましたか。私は、その画像を見て勇気づけられました。皮肉なことのようにも思えますが、被災者の皆さんを少しでも勇気づけることができたらと思っている自分が勇気づけられたのです。皆さんと同じに私も悲しみや苦しみを抱えています。今の日常がどんなに大切であるかを強く考えさせら
れたのです。
素直に静かに今の喜びをかみしめたいと思います。
今日から、君らの新たなる人生が始まります。
真新しい白いページを共に開きましょう。
私たち教職員は、君たちの、大きな希望の手助けになりたいと考えています。
共に新たな時間を歩みましょう。
最後に、君らを慈しみ、今日の日を迎えた保護者の皆さんに、心からの祝意
と歓迎のあいさつを申し上げます。
立教新座中学校 校長 渡辺憲司


命二つ
立教新座高校入学式祝辞
命二つ中に活きたる桜かな
これは、「野ざらし紀行」にある、松尾芭蕉の一句です。
前書きに、「水口にて二十年を経て故人にあふ」と、ありますから、芭蕉が、今の岐阜県甲賀郡の水口で作った句です。
故人は、普通は死んだ人のことを言いますが、ここでは、違います。古い友人といった意味で使われています。古い友人とは、芭蕉の弟子であり、友人とも言いうる、服部土芳のことです。二十年ぶりに友人に会った時の思いを述べた句です。
「二十年あまりも会うことのなかった友人二人が、命あって再会することができた。その喜びの二人の中に、桜がいきいきと咲いている。」といった解釈になるでしょう。
「活きたる」は別の本では、「生きたる」と書かれています。どちらにしても、二人の命が生きて会えることと、活き活きとした桜の花を形容しているのでしょう。
この句の背景は、以上のようなものですが、私が今この句を取り上げたのは、「命二つ」という初めの五句を思い出し、又、この学舎に咲く桜の木を思ったからです。
句の成立した背景を越えて、命二つという発想が、心に強く響いてきたからです。
私たちは、命を自分一人のものと考えがちです。
かけがえのない命は、もちろん自分だけのもの。他の人と取り換えようのないものです。
私は<命一つ>と考えていました。
それを芭蕉は、まず<命二つ>と切り出したのです。
命は、自分一人のものですが、一人で支えているものではありません。単数ではなく、複数の命によって支えられているのです。他者の存在なしに、命はありません。
親と自分、友人と自分、他者と自己、それぞれがその命を自分の中に大切に抱えながら、親、友人、もうひとつの命に支えられ、<命二つ>の中で生きているのです。
命は一つで生きていくことはできません。
自分にかけがえのない命は、相手にとってもかけがえのない命なのです。
人は誰もが意地悪な面を持っています。今まで、一度も人に意地悪をしたことのない人はいないでしょう。相手の心を傷つけたことのない人はいません。傷つけたことがないと思っている人でも、相手が傷つけられたと思っていたことはきっとあるはずです。
私は、君たちより長く生き、君たち以上に人を傷つけてきたに違いありません。私は、自分の命が自分だけのものと勘違いしていたのです。勘違いではなく、「命は一つ」と、思い込んでいたのです。
<命二つ>と、考えることは、相手の心に近づき、自分の身を相手に重ねることです。
互いに命の尊厳を認め合うということです。
暴力は、命の尊厳の否定です。いじめは、相手の命を無視することです。
暴力は、相手の心に土足で入り込む乱暴です。乱暴は許されません。
いじめは、最悪の暴力です。
桜が咲きました。命二つ新たな時を迎えました。
互いに命を思いやり、活き活きと、この学舎の桜の木の下で出発しましょう。
今年の北国の春は悲しい春になりました。何時もなら、南から桜前線の便りが、届けられ、その北上に、心が躍りました。今年はその便りに浮き立つことはありません。
しかし、桜は咲きました。今年ほど桜の下の命の大切さを思わない春はありません。
被災者の方々の辛苦は言語表現の及ぶ範囲ではありません。
深い悲しみの中で、入学式を前にした君たちと同じ年代の少年の笑顔がテレビに映し出されました。誰もが、悲しみを胸に秘めています。私にも不安があります。悲しみがあります。しかし、私はその少年の笑顔を見た時、勇気づけられている自分に気づきました。
少しでも被災地の方を勇気づけなければならないと考えていた自分が勇気づけられたのです。そのパラドックスに戸惑いながらも私は今それを素直に謙虚に受け止めたいと思います。何げない日常がいかにかけがえのない尊いものであるかを、少年の笑顔が、私の惰眠を覚醒したのです。
私たちは、この日を、日常を支えるすべての人に感謝して迎えたいと思います。
謙虚に、しっかりと互いに命の尊さを思いながら、入学の時を迎えたいと思います。
保護者の皆さん、ありがとうございます。
本校教職員一同を代表し、歓迎と祝意を述べて挨拶を終わります。
諸君、入学おめでとう。
命二つ中に生きたる桜かな。
立教新座高等学校 校長 渡辺憲司
by sanmu39 | 2011-05-07 09:01 | 人間の旅 | Comments(0)