木偶坊の美探求流浪記 そして酒場と食と人を求めての旅


by sanmu39

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<   2008年 12月 ( 11 )   > この月の画像一覧

2008年(平成20年)

今年の一文字

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『義』である。
義とは、儒教における五常(仁・義・礼・智・信)の一。人のおこないが道徳・倫理にかなっていること。決して忘れてはならぬ、決して逃げてはならぬ、決して裏切ってはならぬ。全ては教えから悟り、「義」をもって心を成すこと。来年へ繋がる一文字でもある。1年お疲れ様でした。
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by sanmu39 | 2008-12-29 08:27 | 時代の旅 | Comments(0)

酒田その参<山形県酒田市>

酒田の街その弐

本間美術館
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日本一の豪商本間家4代当主光道が本間家の別荘として建てた建物ゆかりの美術館で、重要文化財や重要美術品を多数所蔵展示してある。また手入れが行き届いた庭園が素晴らしい。
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中川政一揮毫による石刻看板である。中川政一(なかがわかずまさ 1893年2月14日-1991年2月5日)洋画家・美術家など多彩な芸術家であるが、書もまた一本気で素晴らしい。
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庭園「鶴舞園」実に爽快である。毎日の手入れがあるからこそ見れる風景である。
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屋敷を守る神社である。
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今も残る手漉きガラス窓は明治期に作られたものである。
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昭和天皇がお泊りになった壁に遠く離れたところからは金色に輝く雲影が見える。近づくと消えてしまう不思議な浮雲の金箔吹付けの襖壁となっています。
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大正ロマンを偲ばせるシャンデリアである。

ケルン<カフェ・甘味処・バー>
60年の香りとあじ。
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日本を代表するカクテルの一つ「雪国」の発案者で、現役のバーテンダー井山計一さん(82)、1948年(昭和23年)年に店を開き、現在もシェーカーを振り続けている。
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雪国はウオツカベースのカクテル。中にミントチェリーが入ったグラスの縁に砂糖をまぶし、ホワイトキュラソーとライムジュースを注いで完成。
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シェーカーを振る脇で、お話の好きな78歳の奥様は実に若々しく、チャーミングな女性である。仲睦まじく憧れるご夫婦でもある。
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またこの地に訪れ、盃を交わしたい聖地である。

ケルン:山形県酒田市中町2-4-20 TEL 0234-23-0128 7:00~22:00 休み不定休
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by sanmu39 | 2008-12-26 08:15 | アートの旅 | Comments(0)

酒田その弐<山形県酒田市>

酒田の街

山居倉庫(さんきょそうこ)
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明治26年(1893年)に庄内藩主酒井家によって酒田米穀取引所の付属倉庫として建造され、築115年が経た今も現役の農業倉庫として活躍している。白壁土蔵造りの12棟の屋根は二重構造で、倉庫内部は湿気防止構造となっている。その西側に西日や偏西風を防ぐ役割としてケヤキ並木を整備した。
この自然との共生で育ち、耐え抜いた倉庫とケヤキには美しさと凛とした姿が素晴らしい。そして先人たちに感謝である。
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東側正面より
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当時のまま残している「有馬商會」の看板(レプリカ)

久村の酒場(くむらのさかば)
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地元の一押しだけあって、店の雰囲気がよく落ち着く。そしてなにより店主、女将の人情味ある46年続く酒屋直営の店である。もともとは酒屋で1867年創業の今も隣で営んでいる。
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ほぼワンコインで飲めるお品書きである。
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料理も旨いと聞き、一押しの手作りコロッケを食べたが、旨すぎてまいった!餃子やスミイカも旨かったし、熱燗を注文したら、一升瓶ごとお燗(初孫)してあってまた味があり旨かった。
女将さんの「そうだのう~!ありがとのう~!」とてもぬる燗のように温かさを感じる方言だった。今年は雪がなく雪見酒とはいかなかったが、また訪れたい酒場でもある。
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合い席した方々である。460andピロである。旅は道ずれ、世はお酒・・・。
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by sanmu39 | 2008-12-25 08:19 | 日本古禮の旅 | Comments(0)

酒田<山形県酒田市>

土門拳の気吹を感じた

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羽越本線酒田行の車中にて、日本百名山の鳥海山を拝観した。

土門拳記念館
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入口でお出迎えをしていただいたのが、草野心平筆の拳湖(銘石)である。
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土門拳(1909年10月25日-1990年9月15日)日本の庶民にフォーカスを中て、また徒手空拳、かつ不撓不屈の精神と激しい行動力で写真に自分の心を写したのである。昭和14年に女人高野室生寺を訪ね、一大決心をさせた釈迦如来像。日本中の仏像という仏像を撮れば、日本の歴史も文化もそして日本人の人間も理解できると考えたのである。
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土門拳は若いころから模写を日課とし、大雅堂や大燈国師を手本にしていた。
その中でも素晴らしい作品を紹介する。脳出血で二度倒れ、リハビリで病を克服し、左手で書いた渾身の書である。
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「古寺巡礼」1972年
息の長い線、呼吸をとても大切にし、語りかけながら書かれた気がある。
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「逞しく優しく」1974年
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土門拳使用の陶印。冨本憲吉作である。棟方志功も好んで使用していた。
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土門拳はメモ魔でもあった。

土門拳の固守し続けた作品へのこだわり、フォーカスした被写体の内面を撮るために昼夜問わず待ち続けた姿勢は感服である。合掌
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by sanmu39 | 2008-12-24 12:34 | アートの旅 | Comments(0)

プリンセス・ダイアナ<宮城県仙台市>

その輝きの日々、そして輝き続ける瞳と光背

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仙台三越にてプリンセス・ダイアナ展を拝観してきた。主に写真集で、英国王室カメラマンであるグレン・ハーベイ氏が撮影したダイアナ元妃の世界各国で彼女に会った人々の純粋な喜びに満ちた表情や、輝く瞳を垣間見れる展示会である。プリンセス・ダイアナの輝き続ける瞳、その奥底の眼力には人を静止させてしまうものがある。それは、聖母マリア像と重なる光背があり、心を奪われかねないものである。若干プリンセスとしての彼女の生い立ちを紹介する。

1981年2月に英国皇太子チャールズとの婚約が発表され、同年7月に結婚。20歳の若く美しいプリンセスに全国民が祝福し、世界的な歓迎ムードの中、ロイヤル・ウェディングは行なわれた。1982年に長男ウィリアム王子、1984年には次男ヘンリー王子が誕生した。
 子どもたちにさまざまな体験をさせたいと望んでいたダイアナ元妃は、公式訪問に王子たちを連れて行くこともあった。運動会ではほかの来場者たちにまじって競技に参加することもあり、憧れの理想の家族だと誰もが思っていた。
 しかし、皇太子チャールズの不倫が公になり、1996年8月に離婚。離婚後も二人の息子の母として、王子たちに精一杯の愛情を注いだ。英国王室のスキャンダルに世界中が注目し、離婚した後も彼女の人気は衰えることなく、さまざまなプライベートが話題になった。
一方で、社会的に弱い立場にある人々のための、1987年のエイズ啓発活動をはじめとした、地雷廃止運動や赤十字の活動への取り組みもクローズアップされ、その生涯で100以上もの慈善団体を支援し、各地を訪れて多くの人に勇気と励ましを与えてきた。活動は離婚後も続けられ、1997年にはアンゴラの地雷原を歩いて対人地雷の全面禁止を訴えた。

1997年8月31日未明のパリ。悲劇は突然訪れたのである。
36歳という若さで交通事故により急逝。そのニュースは、世界各国を駆け巡り、彼女の早すぎる死に世界中が驚愕し、涙した記憶が蘇える。“Leave me alone”という言葉を遺し、帰らぬ人となったのです。ケンジントン宮殿に届けられた花束は、絨毯のように敷きつめられ、30mもの長さにおよんだ。「民衆のプリンセス」として人々から慕われたダイアナ元妃。没後10年の今もなお、彼女の功績は讃えられている。
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by sanmu39 | 2008-12-22 07:50 | アートの旅 | Comments(0)

上野駅<東京都台東区>

上野駅/石川啄木の歌碑

上野駅は北の玄関口である。
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東京都台東区上野7-1-1(上野駅15番ホーム)
「ふるさとの 訛(なまり)なつかし 停車場の 人ごみの中に そを 聽きにゆく」
1902年(明治35年)文学で立身することを決意し、盛岡尋常中学校を退学。その後、上京して与謝野鉄幹・晶子夫妻らと知り合う。岩手から東京へ上京してきた石川啄木(本名:石川一はじめ)が、ふるさとへの郷愁から詠んだこの歌の碑が、上野駅にひっそりと置かれている。
石川啄木 1886年(明治19年)2月20日-1912年(明治45年)4月13日(享年27歳)
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by sanmu39 | 2008-12-12 14:05 | アートの旅 | Comments(0)

攀桂堂(はんけいどう)雲平筆<滋賀県高島市>

『技』400年の伝統

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藤野雲平商店は、元和年間(1615年)、京都にて筆工を営み、特に有栖川好仁親王の御用を承り、その後正徳年間(五代雲平)近衛予楽院家熈公より攀桂堂の号を賜り、近年では昭和49年皇太子両殿下に技術の天覧を賜りました。雲平筆は天平筆、筆龍藤巻筆、大師流筆、定家流筆、上代様筆など、和紙を巻く巻筆の技術を今に伝えています。他に水筆、捌筆等も製作している。

今回は筆の講義を賜りに伺ったところ、多忙にもかかわらず快くレクチャー頂いた。
書くものにとって筆は一身一体の道具である。その道具の筆の制作過程と命毛といわれる素材や職人の手さばきを見ることが出来た。今後の制作に一工夫できそうである。聞き入ってしまい画像を残すことを忘れてしまった。撮れた画像のみアップする。
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伝統とは息づく聖地の魂を繋いでいくものだと感じた。技とは魂を吹き込み、生涯変わりえぬ絶技である。その歴史は4世紀もの間、掌は止まることなく受け継がれているのが素晴らしい。

攀桂堂 雲平筆  滋賀県高島市安曇川町上小川90-6
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by sanmu39 | 2008-12-11 07:45 | アートの旅 | Comments(0)

築地で食事

築地の食の堂

洋食たけだ
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築地での食事はサービスを求めてはNG。その分、味が命である。また新鮮な魚で寿司は当たり前ではないか。新鮮で調理加工した逸品を食する。それがこれ。
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鮪の尾肉ステーキとトッピングにカニコロッケ、ちょいがけ(ライスにカレーかけ)です。
ポークソテーも美味しい。
営業時間は3:30~13:30と築地時間である。座席はカウンターのみで座席数は13席、今回お邪魔した時間は8:30で20分のウェーティングでした。

先日のニュースで、築地見学ツアーなるもので外人観光客のマナーの悪さ露呈とでた。東京都中央卸売市場(築地市場、中央区築地5)のマグロの競り場に、外国人観光客が多数押し掛け業務に支障が出ているとして、都は各国大使館やホテル、旅行会社に、12月中旬から約1カ月間、競り場の見学中止を通知した。築地のマグロ競りは外国人の間でも「ツナ・マーケット」と呼ばれ、秋葉原、浅草と並ぶ3大人気スポット。早朝から500人近くが訪れる日もあるという。
競り場は基本的に見学者の立ち入りは禁止だが、外国人観光客が多いため市場側がスペースを設けて黙認してきた。しかし、競り場に入ってフラッシュをたいたり、マグロに触ったりして、競りの仕事を妨げるマナー違反者も多い。マナー違反で一番の問題は「言葉が通じず注意もできない」ことではないだろうか。場内の飲食店でのトラブルも若干出てきている。
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by sanmu39 | 2008-12-10 08:13 | 酒と肴と人 | Comments(0)

明日の神話<東京都渋谷区>

岡本太郎神話
メキシコ発、渋谷着/岡本太郎制作
1968年メキシコで描いた巨大壁画(縦5.5m横30m)「明日の神話」は「太陽の塔(1970年の大阪万博テーマ館)」の制作時期と重なる。1968年から1969年にメキシコの実業家から新築ホテルのロビーに飾る壁画を描いてほしいという依頼で始まった。現地に何度も足を運んで完成させたが、依頼主の会社経営状況が下降し、ホテルは未完成のまま放置されることになり、「明日の神話」はロビーから取り外され、行方不明となっていた。しかし、2003年9月にメキシコ郊外の資材置き場で「明日の神話」が発見された。30余年放置され少なからず損傷を受けており、修復の必要があった。妻、岡本敏子(岡本太郎記念館館長)は「明日の神話」再生プロジェクトを発足させ、壁画を日本へ運び、修復する取り組みを始動させた。
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「明日の神話」
『明日の神話』は原爆の炸裂する瞬間を描いた、岡本太郎の最大、最高の傑作である。
猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、その下で骸骨が燃えあがっている。悲惨な残酷な瞬間。逃げまどう無辜の生きものたち。虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、健気に力をふりしぼっている。
第五福竜丸は何も知らずに、死の灰を浴びながら鮪を引っ張っている。中心に燃えあがる骸骨の背後にも、シルエットになって、亡者の行列が小さな炎を噴きあげながら無限に続いてゆく。その上に更に襲いかかる凶々しい黒い雲。悲劇の世界だ。だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も、末端の方は生まれたばかりの赤ちゃんだから、無邪気な顔で、びっくりしたように下界を見つめている。外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。タイトル『明日の神話』は象徴的だ。その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに『明日の神話』が生まれるのだ。岡本太郎はそう信じた。この絵は彼の痛切なメッセージだ。絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。この純粋さ。リリカルと言いたいほど切々と激しい。二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。<2003年岡本敏子壁画についてより抜粋>
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1968年(昭和43年)の日本は高度成長という名のもと、戦争を忘れたかのように人を蹴散らして増殖した組織体、そして群れる集団が横行していたと記憶する。その時代に岡本太郎は別の時代にいた。世界平和、人類温和、自然回帰などをアート(藝術)というどこか抽象的である世界で言葉に勝るモノで表現したのではないか。先を見つめる藝術者は、子孫を残すより未来の世界を残す未来永劫の先駆者だと信じたい。そんな岡本太郎の生き方が好きである。
「明日の神話」を渋谷(JR線と京王井の頭線を結ぶマークシティ内の連絡通路)で拝観してきた。やはり岡本太郎は作品の中に生きていた。そして、いまなお未来へのメッセージを語り続けている。
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by sanmu39 | 2008-12-09 07:35 | アートの旅 | Comments(0)

新橋の立ち飲み事情<東京都港区>

酒の場
立ち飲みが好きである。肩と肩が触れ合いながら、時には満員電車のごとく右手にグラス、左手に皿を持ち飲むことさえある。それはそれでおやじ衆のパワーを感じ、酒がすすむのである。人の賑わい、人の赤ら顔、流暢な声、人の手ぶりなどを観察して肴にする酒の場の空間がいい。
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魚金刺身屋台
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立ち呑みじゃんけんポン
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立木
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王将
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へそ
立ち飲みの流儀には長居は禁物である。

翌日の新橋駅前SL広場にて
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ザ・たっち
TVの中継でなにやら「カレンダーの日(12/3)」、このカレンダー、ダレンダーと自虐のギャグをいっていた。
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by sanmu39 | 2008-12-08 07:45 | 酒場と食と人 | Comments(0)