木偶坊の美探求流浪記 そして酒場と食と人を求めての旅


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<   2009年 06月 ( 7 )   > この月の画像一覧

書道博物館<東京都台東区>

攻撃的な線の中にやさしさがある~龍門二十品~

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「龍門二十品」(りゅうもんにじゅっひん)とは中国三大石窟の一つである龍門石窟(河南省)に刻された造像記(仏像を彫刻した由来、経緯などを述べ仏像の近くに刻んだ文である)の中から優れた二十種類を選んだものである。「龍門二十品」の拓本は中村不折(なかむらふせつ)が書道研究を志す契機となった清国滞在中に入手したものであり、その後の不折の書研究における方向性や不折自身の書風にも大きく影響を与えた。不折が蒐集した「龍門二十品」の拓本を通じて力みなぎる北魏時代(4~6世紀)の楷書の素晴らしさがある。

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不折の拓本蒐集は最旧拓、旧拓(年月と共に石碑が欠損する前に拓本にしたもの)はほとんど現存しないものばかりで線質の眼識がはっきりと出来て素晴らしい。楷書の中で一番に上げる位好きな線である。旧拓の蒐集は今となっては値がはり困難であるが、小生も蒐集と模写には特筆を持って挑んでいる。

龍門とはいち生涯つき合いたい造像記である。
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by sanmu39 | 2009-06-29 07:48 | アートの旅 | Comments(0)

京橋<東京都中央区>

石碑の「陰刻」と「陽刻」

石碑や印章など「陰刻」と「陽刻」に区別される。 通常使用の印章で説明すると「陰刻」とは文字が印材に彫られ捺印すると印字が白抜きで現れる印章である。「陽刻」とは文字の周りが彫りぬかれ捺印すると文字の部分に印肉によって現れる印章である。現在では「陽刻」が一般的である。
歴史上の漢委奴国王印(国宝)がそうであるように昔は「陰刻」が一般的であった。これは当時、印章が「封泥」に捺印するため使用されていたことに由来する。「陰刻」の印を粘土に押すと、文字が凸状になって現れるためである。「陽刻」が一般的になるのは紙が登場し、朱肉が普及してからである。
なお、陰刻印章は印鑑登録出来ない。

では石碑による「陰刻」と「陽刻」を見てみよう。

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京橋大根河岸青物市場跡「陽刻」
京橋から紺屋橋にかけての京橋川河岸は江戸時代から大根を中心とした野菜の荷揚げ市場で、江戸八百八町の住民たちに新鮮な野菜を提供していました。別名「大根河岸」とも呼ばれ、明治、大正と続き、関東大震災(大正12年9月1日)の前まで続いていました。関東大震災以後、区画整理や都市再編成で大根市場は野菜市場となって、神田、築地へと移り今日に至っています。昔を偲んで、京橋大根河岸青物市場跡の記念碑が建てられました。

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京橋の親柱「陰刻」
京橋は、江戸時代から日本橋とともに有名な橋。橋は、昭和34年(1959年)京橋川の埋め立てによって撤去され、現在では見られませんが、その名残をとどめるものとして、三本の親柱が残っている。橋北詰東側と南詰西側に残る二本の親柱は、明治八年(一八七五)当時の石造の橋のものである。江戸時代の橋の伝統を引き継ぐ擬宝珠の形で、詩人佐々木支陰の筆によって、「京橋」「きやうはし」とそれぞれ橋の名が彫られている。

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江戸歌舞伎発祥の地「陰刻」
この碑の文字は歌舞伎文字勘亭流である。
徳川時代の安永八年の正月、江戸中村座、座主九代目中村勘三郎丈が日本橋堺町に住む御家流書家、岡崎屋勘六に中村座の表看板・番附等の揮毫を依頼それが大好評を博し、以来中村座を始め江戸中の劇場がこの書体を用い大阪にも広まり日本全国に宣伝、歌舞伎の文字として定着した。1779年より実に230年以上伝承し、今日に至っている。

地球上には自然石や岩などまた人工的な作られた石碑に何らかの目的をもって刻んで建立したものを古代の看板。今ここに存在があったことを標すモニュメントである。文字の使われ方を紐解いていくと古代も現代も相変わらないアナログなことがこれからも尚、息づいていくだろう。
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by sanmu39 | 2009-06-26 09:58 | アートの旅 | Comments(0)

銀座の看板野郎たちPart五<東京都中央区>

文字造形とバランスの関係

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「松屋とうふ」
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「葱や平吉」
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「お多幸」
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「武蔵野ぎんざ店」
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「たちばな」
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「BARなさ」
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「BAR TARU」
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「音羽」
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「やす幸」
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「六根」

看板の中の藝術もあるのです。
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by sanmu39 | 2009-06-20 08:39 | アートの旅 | Comments(0)

銀座の看板野郎たちPart四<東京都中央区>

文字は線の組み合わせである

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「日本料理鴨川」
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「むとう」
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「ざくろ」
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「歓」
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「ひょうたん屋」
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「居酒屋ちこて家庭料理」
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「A・un」
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「有薫酒蔵」
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「爐端」
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「忠」

線の組み合わせにより縦横無尽に変化するのが文字造形である。
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by sanmu39 | 2009-06-17 07:08 | アートの旅 | Comments(0)

銀座の看板野郎たちPart参<東京都中央区>

文字はアートである

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「銀座麒麟」
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「寿し幸」
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「すし椿」
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「銀座すし新太郎」
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「手打ち蕎麦國定」
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「そば処銀座いけたに」
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「泰明庵」

文字はアートであり、藝術でなければまらない。
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by sanmu39 | 2009-06-16 07:12 | アートの旅 | Comments(0)

銀座の看板野郎たちPart弐<東京都中央区>

文字はデザインである
眺めて飽きがない文字には理由がある。美しすぎないことが大前提であり、読ませる、見させる、感じさせることを大事にするものである。人でもそうであるが良い人より、味のある人のほうが魅力を感じるものである。味のある人やモノはバランスも良い。そんな銀座の看板野郎を列挙した。

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「銀座七賓ビル」
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「ムラキビル」
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「銀座山形屋」
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「信濃屋」
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「銀座平つか」
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「交詢社」
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「泰明小学校」
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島崎藤村ここにて学びや
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「萬葉洞」
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「三宝堂」
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「銀座かなめ屋」

まだまだ続く銀座看板野郎たち
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by sanmu39 | 2009-06-15 10:45 | アートの旅 | Comments(0)

銀座の看板野郎たちPart壱<東京都中央区>

銀座の三原小路の門
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篆書で書かれている。
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三原小路の袋小路の看板である。何とも各々のお店の個性が覗かれる素晴らしい看板文字である。平成に入って特にパソコン文字といわれる書体などでどこの看板も同じでつまらないものである。折角漢字文化があり、縦横無尽な毛筆をたしなむ文化があるのですから個性ある文字を使うことを薦める。兎に角100人書いた文字には100通りの個性があるのですから・・・。
Part弐につづく。
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by sanmu39 | 2009-06-03 15:07 | アートの旅 | Comments(1)