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木偶坊の美探求流浪記 そして酒場と食と人を求めての旅


by sanmu39

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会津若松を訪ねて<福島県会津若松市>

古墓から教えを感じるもの

会津・蒲生氏郷(がもううじさと)の墓が会津若松市神明通りの東裏「瑞雲山興徳寺」の本堂東側にある。天正18年(1590)天下統一を果たした豊臣秀吉は織田信長にも仕えた戦国武将の氏郷を奥羽の押さえとして会津に封じた(織田信長の次女の冬姫と氏郷を結婚させ娘婿として迎えた間柄)。氏郷は黒川といったこの町を郷里(滋賀県日野町)の森の名にちなみ「若松」と名づけた。また鶴ヶ城や城下町を整備し、漆器産業を植えつけ文化興隆にも力を注いだ。しかし会津の領主となって僅か5年後に文武両道に秀でた氏郷も病のため京都(京都大徳寺黄梅院に本墓)で不帰の人となった。会津の蒲生氏郷の墓は「空・風・火・水・地」の五文字を刻した五輪塔で氏郷没後の翌年子息の蒲生秀行によって建塔された五輪塔(墓)である。京都大徳寺の本墓から分骨(遺髪が収められている)したものと伝えられる。
会津若松を訪ねて<福島県会津若松市>_f0181746_1194775.jpg

五輪塔について
五輪塔とは仏塔の一種で、仏塔の形が上から宝珠形=空輪、半月形=風輪、三角形(または笠形、屋根形)=火輪、円形=水輪、方形=地輪によって構成され、古代インドにおいて宇宙の構成要素・元素と考えられた五大を象徴するものである。

密教の思想で
空-天空(そら)のことであり、また、仏教の思想の空のことでもある
風-成長、拡大、自由を表す
火-力強さ、情熱、何かをするための動機づけ、欲求などを表す
水-流体、無定形の物、流動的な性質、変化に対して適応する性質
地-大地・地球を意味し、固い物、動きや変化に対して抵抗する性質


時間が止まった感を感じる、宇宙をも入る奥深い思想ではないか。
# by sanmu39 | 2008-09-29 11:11 | 日本古禮の旅 | Comments(0)

喜多方を訪ねて続編<福島県喜多方市>

叶山願成寺(かのうさんがんじょうじ)
喜多方を訪ねて続編<福島県喜多方市>_f0181746_10141694.jpg

喜多方を訪ねて続編<福島県喜多方市>_f0181746_10145214.jpg
正面参道の仁王門の扁額「叶山」 叶の最終筆が側筆気味で切れがありいいですね。
喜多方を訪ねて続編<福島県喜多方市>_f0181746_1016037.jpg
会津大仏で
右に観音菩薩、左に勢至菩薩を従え中央に鎮座する木造阿弥陀如来は通称「会津大仏」と呼ばれ、制作は鎌倉時代といわれている。
喜多方を訪ねて続編<福島県喜多方市>_f0181746_10165071.jpg
光背(こうはい)には千体仏が彫られてあり引き付けられる。
喜多方を訪ねて続編<福島県喜多方市>_f0181746_10191676.jpg
おっとビックリしましたが坂村真民の詩石碑が願成寺会津大仏堂脇にあった。坂村真民(さかむらしんみん)日本の仏教詩人で敬愛する人である。
「念ずれば花ひらく」鳩寿(きゅうじゅ)坂村真民と刻まれている。今の通過儀礼の卒寿にあたり90歳。平成15年5月に建立された時、94歳で平成18年12月11日永眠(97歳)されました。合掌
坂村真民の詩碑「念ずれば花ひらく」日本に737基建立されている内の1基である。
「苦しい時
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
私のはながふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった」

奥深い言の葉である。人間「森羅万象」で全てを信じ尽くす事ですね。

叶山願成寺:福島県喜多方市上三宮町上三宮字籬山833番地
# by sanmu39 | 2008-09-26 10:41 | 日本古禮の旅 | Comments(0)

喜多方を訪ねて<福島県喜多方市>

喜多方の「朝ラー」とは
喜多方を訪ねて<福島県喜多方市>_f0181746_10233134.jpg
朝7時過ぎから開いてる食堂にてラーメンを食することを朝ラーというのです。
喜多方を訪ねて<福島県喜多方市>_f0181746_10254243.jpg
あべ食堂はお気に入りです。中華そば600円。

新宮熊野神社にて

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長床(ながとこ)
長床は拝殿として建立し、建立時期は平安末期から鎌倉初期と見られる。
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りっぱな円柱44本が10尺の等間隔に5列並び威厳壮大である。
喜多方を訪ねて<福島県喜多方市>_f0181746_101432.jpg
長床奥山中腹に熊野三社(本宮十二権現堂・新宮証成殿・那智山飛竜権現殿)が鎮座している。
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新宮木造男神坐像で熊野速玉男乃命(くまのはやたまおのみこと)
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新宮木造女神坐像で伊邪那美神(いざなみのかみ)
喜多方市慶徳町の新宮熊野神社(しんぐうくまのじんじゃ)は約950年ぶりに初めて神像2体を公開した。神像は桂の一木造りで11世紀中期から後期の平安時代に制作されたとみられる。
喜多方を訪ねて<福島県喜多方市>_f0181746_10113842.jpg
木造文殊菩薩騎獅像(もくぞうもんじゅぼさつきしぞう)平安末期から鎌倉初期
インドから沙漠を渡り文殊菩薩の聖地と考えられている中国山西省の五台山(東台望海峰・西台挂月峰・南台錦綉峰・北台葉頭峰・中台翠岩峰)に行く姿を現している。
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牛王版木(ごおうはんぎ)文保2年(1318年)寄進
木版で摺った護符(守り札)で熊野の神の使いである烏の文様を装飾した文字となっている。印刻は「熊野山寶印」と刻まれている。
喜多方を訪ねて<福島県喜多方市>_f0181746_10133840.jpg


喜多方を訪ねて<福島県喜多方市>_f0181746_10151336.jpg
神像のほかに1本の掛け軸に1千の仏様が描かれた3幅1組の掛け軸「三千仏」がありその1幅が展示された。三千仏とは三世の三千の仏の名前を唱えて、罪の消滅を祈る。過去の荘厳劫に一千仏、現在の賢劫に一千仏、未来の星宿劫に一千仏、合せて三千仏の出世ありといわれている。

喜多方の路地放浪はまだまだある。そしてこだわりの食堂やラーメンもまだまだ・・・。

新宮熊野神社:福島県喜多方市慶徳町新宮字熊野2258
# by sanmu39 | 2008-09-19 10:34 | 日本古禮の旅 | Comments(0)

郡山を訪ねて<福島県郡山市>

安積國造神(あさかくにつこじんじゃ)
郡山を訪ねて<福島県郡山市>_f0181746_10202592.jpg
「郡山湯屋親睦会」と刻されているこの石刻は珍しいものです。さかのぼる事、江戸時代に銭湯を「湯屋」とよんでいた言葉です。その名残?でしょう。
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「御神楽殿」いい字ですね。顔真卿(中国唐代の屈指の忠臣であり代表的な書家)の顔氏家廟碑を思い出す。
郡山を訪ねて<福島県郡山市>_f0181746_1036548.jpg
「昌平黌教授贈従四位艮斎安積先生誕生地」と刻されてある。明治の三筆(中林梧竹・巌谷一六 ・日下部鳴鶴)と呼ばれた書道家の一人、日下部鳴鶴の書。隷書で規範的な書風である。

国造神社、八幡、稲荷の三社が鎮座している神社で、JR郡山駅西口より徒歩7分位の場所に安積国造神社はある。
# by sanmu39 | 2008-09-16 10:54 | 日本古禮の旅 | Comments(0)

古来風躰な旅を

放浪の旅へ
いきなり古来風躰(こらいふうてい)と難しい熟語がでてきましたが、放浪の旅を通してアート、藝術の観かた捉え方を勝手気ままにアップして参ります。
そしてクラシカルスローでエコロジーな旅を目指し、藝術とは・・・・なストイックなことばや私見をお伝えいたします。
寺院・仏閣・扁額・石刻・書・絵画・工芸・彫刻・版画・仏教美術・伝統工芸・食文化(おいしい地産物)等を子供目線で紹介していきます。人は美味しいものや美しいものに集まるものです。
# by sanmu39 | 2008-09-11 10:10 | Comments(0)