木偶坊の美探求流浪記 そして酒場と食と人を求めての旅


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上野<東京都台東区>

上野の薫り~不忍池界隈~
上野は奥深い町である。歴史と文化が混在している粋の薫りが漂っている。
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「心正堂」絵画・書道具店で、高田竹山筆による。「正」の4画目で三文字全体のバランスを保っているのが素晴らしい。ここの屋号は「心正しければ筆自ら正し」の言葉より幕末の功臣・山岡鉄舟が名付けた。
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「守田寶丹」守田寶丹筆による。以前会津路での金看板で紹介したが、詳しくご紹介する。
上野池之端の中通り(鈴本演芸場右手)を入り、中程右側にある8階建ての比較的新しいビルで「守田寶丹」屋号が掲げられている。
守田寶丹(1841~1912年)はこの「守田治兵衛商店」の9代目当主である。
「寶丹」は、文久2年にコレラの予防薬として発売された薬の名で、9代目は自らの名として用いた。この薬は明治4年に官許第1号の公認薬となり、万能薬として日清、日露戦争では軍の必携薬となった。その後改良され、今でも胃腸薬として売られている。寶丹は、商才にも長けた人だったらしく、広告、宣伝に目を瞠る活動をしている。看板やチラシはいうに及ばず、新聞広告にはじまり、400号にも及んだPR誌「芳譚雑誌」を創刊、 はたまた歌舞伎の上演中に役者に「寶丹」といわせたり、「寶丹」宣伝の為に古典落語「なめる」を創作させて噺家に口演させたりと、今でも通用しそうなアイデアを明治期に実行しているからすごい。広告業の先駆者とも言えそうである。寶丹書の大胆な造形と筆法は、こうしてみると、いかに人目を惹き、見るものにインパクトを与えるかということを出発点としているようにも思える。伝統書法の超克をめざした現代書家とは、自ずから異なる地平に寶丹は立っていたのであろう。それはまた、自由奔放な書風を生む土壌でもあった。寶丹は、明治25年に家督を譲り、隠居後は静松園長禄翁と称した。本駒込周辺の碑は、年号から見て隠居後のものである。このころ、寶丹の書風は商家の 看板としても人気を博し、将棋の駒の書にも重用されたという。
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「堺屋 和洋酒食料品」書体は篆書である。もともと篆書はデザイン性があり今なおスタイル美ある書体である。建物自体も昭和初期の建物である。
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「喜屋」書体は隷書である。また息の長い緩急のある線である。
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「蒲やき伊豆栄」鰻やの老舗
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「十三や清八」櫛やで、江戸時代のもので初代は元文元年(1736年)金子清八が開業した。何ともあじわいのあるゆったりした文字の線と扁額彫り師の手仕事の素晴らしさを感じる。
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「蓮玉庵」創業安政六年、創業者の信州出身の窪田八十八が不忍池を眺め、蓮の葉の上にある玉のような蕾にちなみ「蓮玉庵」と名付ける。看板は久保田万太郎筆によるものである。蕎麦やらしい細くしなやかな線の看板である。

上野界隈はスローでありながら、日本各地からの人の賑わいがあり、またどこか不忍池の蓮の花のようである。
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by sanmu39 | 2008-11-26 17:26 | アートの旅 | Comments(0)